8月1日 いよいよ解禁!
前のバイト先を辞め、無職期間がちょうど1ヶ月になった。
あ、無職ではない、個人事業主としてだ。
色々な人に会いながら、コツコツコツコツとホームページを作成した。
HTMLを打っては、経営の本を読み、CSSを打っては、飲みに行き、PHPを勉強しては、テレビドラマを見た。
そう、中だるみである。
初めの方は起きて朝ご飯を食べたらすぐに仕事に取りかかり、昼飯を挟んで、コーディングをし続け、晩飯を食ってから寝るギリギリまで打ち続けていたのだ。
大丈夫なのか、俺?
俺がこれほどまでにだらけてしまったのは、もう一つ理由がある。
それは俺が根っからの「テレビっ子」だという事だ。
部屋にはテレビがある。
しかも最近やっと地デジのテレビになったのだ。
最初は、昼飯の時だけ… 晩飯の時だけ…
とちょっとずつ浸食されていったが、最後には「見たい番組が…」となってしまい、いつものクセが出てしまっていた。
いつも楽なほう楽なほうへと流されてきた俺。
テレビドラマとバラエティ中心の生活が訪れる事は予想の範囲内だ。
俺にとってテレビは身体の一部のようなものなのだ。
子供の頃からテレビと共に成長し、テレビと共に生きてきたのである。
辛い時には共に泣き、悩み、楽しい時には共に喜び、笑ってきたのである。
テレビは俺に人生の厳しさと、心の豊かさを教えてくれたのだ。
今までの人生、眼を閉じれば厳しさを味わった経験が今でもありありと思い出される。
あれ?
心の豊かさは?
本当に心は豊かになったのだろうか?
あれ?
ただぼけっと見てただけ?
むしろテレビに感動したり、笑わせてもらってただけ?
・・・・・・・。
大変な事に気づいてしまった。
俺の身体は一瞬のエンターテイメントは提供してくれるが、心は豊かにしてくれないようだ。
麻薬と一緒か?
麻薬と一緒なのか?
テレビドラマを見て、楽しかったなぁとか言っている場合じゃない。
1ヶ月前の満ちあふれたやる気を取り戻さなくては。
しかし、もうすでに俺の身体はテレビという麻薬に蝕まれ過ぎていたようだ。
取り貯めていたドラマを3話ぶっ続けで見てしまう始末。
これはもう病院送りにしてもいいくらいの重症だ。
何がまずいって俺自身が事の重大さに気づいていないことだ。
どうする?どうするんだ、俺!?
しかし、神は俺を見捨てなった。
テレビ特番を3時間ぶっ続けで見た俺に、神が羞恥心を与えた。
(実際には羞恥心ではなく、罪悪感。)
エデンの園である。
「やばいな。3時間もぶっ続けで見ちまった・・・」
俺は決心をした。
「テレビ、しまおう。」
こんなところで俺は一大決心をした。
テレビは麻薬ではなかったのだ。
むしろタバコより依存性はないかもしれない。
こんなに簡単に断つ事ができるとは・・・。
俺は身体の一部を押し入れの中にしまった。
そんなテレビとの格闘があった後、ホームページは完成したのである。
共に生き 自分の一部 あっけなく